50代の私が親の介護で気付いたこと。ショートステイ利用で家族が救われた話

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親を支えるつもりが、支えられていたのは私のほうでした。

ショートステイを利用し、家族が精神的に救われた体験と、施設見学や比較の大切さを実体験からお伝えします。

何度も呼ばれた日々、父が一番頼っていたのは私だった

父を私が相談員として勤務している老人施設にショートステイに短期入所させた頃。仕事として高齢の方やご家族の相談を受けてきたはずなのに、自分の親のこととなると、まるで別の問題のように心が揺れた。

父は、何度も私を呼んだ。「ちょっと来てくれ」と言われて急いで向かうと、特別な用事ではない。ただ私の顔を見ると安心したように横になり、しばらくするとまた呼ばれる。その繰り返しだった。

正直に言えば、戸惑いもあった。業務の途中で呼ばれることもあり、周囲に気を遣わせてしまうこともあった。仕事と家族、その境界が曖昧になり、心の中で小さな葛藤が生まれた。

それでも、父の表情を思い出すと責める気持ちは湧いてこない。あの頃の父は、不安をうまく言葉にできなかったのだと思う。ただ近くにいてほしかったのだろう。私の存在を確認することで、気持ちを落ち着かせていたのかもしれない。

若い頃、父とはよく衝突した。取っ組み合いになるほどの喧嘩もした。意地を張り合い、互いに譲らず、分かり合えない時間も長かった。それなのに、弱くなった父が一番頼ったのが私だったという事実は、どこか胸を温かくした。

「親みたいにしてくれ」と言われたわけではない。けれど、目の奥にある不安や甘えは隠せていなかった。昔は強くて怖い存在だった父が、私の顔を探す。その姿を見たとき、立場が静かに入れ替わったことを実感した。

人は弱くなると、本音が表に出るのかもしれない。強がりや不器用さの奥にあった情が、ようやく見えるようになった。あれだけぶつかり合った時間も、無駄ではなかったのだと思えた。

父が私を呼ぶたびに、私は「またか」と思いながらも足を運んだ。その積み重ねの中で、私は気付かされていたのだ。親はいつまでも親ではない。頼られる側に立つ日が、思ったより早くやってくるということに。

呼ばれるたびに感じた小さな疲れと、その奥にあった確かな信頼。その両方が、今では愛おしい記憶になっている。父が私を頼ってくれた時間は、私にとっても、自分の役割を受け入れるための大切な時間だった。

何度も呼ばれたあの日々は、単なる手間ではなかった。父の不安と私の覚悟が、少しずつ交差していく時間だったのだと思う。

寂しいと泣く母と向き合いながら支える家族の現実

父の変化を一番近くで受け止めていたのは母だった。突然、これまで当たり前にできていたことができなくなり、感情の起伏も激しくなった父の姿に、母は強い衝撃を受けたのだと思う。

「寂しい」と母は何度も口にするようになった。父が施設にいる時間、自宅は静まり返る。長年連れ添った相手の存在が、どれほど大きかったのかを思い知らされるようだった。

物忘れも少しずつ増えていった。私の遅番の日はカレンダーに書いてあるのに、電話が鳴る。「今日は帰りが遅いの?」と不安そうな声が届く。説明しても、数時間後にはまた同じ問いが繰り返される。

私はなるべく早く帰ろうとするが、仕事の都合でどうしても遅くなる日もある。帰宅すると、母はほっとした顔で「これで安心して寝られる」と横になる。自分では気丈に振る舞っているつもりでも、心は張り詰めているのだろう。

体重も落ち、足取りも弱くなった。父のことを案じるあまり、自分のことは後回しにしてしまう。父がかわいそうだと涙をこぼし、自分の不安よりも相手を思う。その姿は、どこか祈る人のようにも見えた。

私は母を支えているつもりでいたが、実際には一緒に揺れていたのかもしれない。父の手続きや施設探し、ケアマネジャーとの話し合い、補助具やベッドの選定。やるべきことは次々と出てくる。衣類を揃え、名前を書き、忘れ物がないか確認する。まるで長期の旅支度のようだった。

それでも、どこか抜け落ちる。動転しているのだと後から気付く。家族が急な変化に直面すると、理性的に動いているようでいて、心は追いついていない。

弟は遠距離通勤で、思うように動けなかった。責める気持ちはないが、現実として動く人間は限られる。家族の中で役割は自然に分かれていく。その偏りに戸惑いながらも、誰かが担わなければならない。

実家に泊まる日も増えた。弟が帰宅するまで、母は安心して横になれないという。私がいることでようやく眠れるのなら、と帰る足は自然と実家に向いた。

介護は目に見える世話だけではない。待つこと、不安を受け止めること、何度も同じ話を聞くこと。派手ではないが、確実に心を消耗する時間が積み重なる。

それでも、母の涙を見るたびに思う。父を思い続けるその姿勢こそが、長い年月を共に生きてきた証なのだと。私はその間に立ちながら、家族という形の重みを静かに学んでいる。

支えているつもりで、実は教えられている。寂しさも弱さも含めて、人は誰かを思いながら年を重ねていく。その現実を、母の背中から受け取っている。

ショートステイを利用して家族が精神的に救われた理由

父をショートステイに預けると決めたとき、私の中には迷いがあった。家族だけで支えるべきではないかという思いと、このままでは共倒れになるかもしれないという不安。その両方が胸の中で揺れていた。

実際に利用してみて感じたのは、「任せる」という選択の重みだった。自分たちで抱え込まなくていいという事実は、想像以上に心を軽くした。父の身の回りのことを専門職の方々が丁寧に支えてくれる。その環境があるだけで、家族の緊張は少し緩む。

施設には看護師や介護士がいて、日々の体調の変化にも目を配ってくれる。薬の管理も含めて、決められた流れの中で対応してもらえるのは大きな安心材料だった。食事も栄養バランスを考慮して提供される。家庭では気を配っているつもりでも、専門的な視点が加わると、また違った安心感がある。

もちろん、施設に預けたからといって不安がゼロになるわけではない。それでも、私たち家族が一度深呼吸できる時間が生まれたことは確かだった。母も私も、常に張り詰めた状態から少しだけ解放された。

ショートステイは「家族が休むための制度」でもあるのだと、そのとき初めて実感した。介護は長い道のりになる可能性がある。最初から全力で走り続けるのではなく、途中で立ち止まる場所があることは大切だと思う。

また、父にとっても環境が変わることは刺激になっているようだった。自宅とは違う空間で過ごし、他の利用者と同じ時間を共有する。リハビリに参加し、職員の声かけに応じながら車椅子で廊下を移動する姿には、生きようとする力が感じられた。

家族だけの視点では見えなかった父の一面を、施設の中で垣間見ることもあった。私の前では見せない穏やかな表情や、職員の方への素直な反応。それを知ることで、私自身の肩の力も抜けていった。

「預ける」という言葉にはどこか後ろめたさがつきまとう。けれど実際は、支え合う形の一つなのだと思う。家族が無理をしすぎないことは、結果的に本人にとっても穏やかな環境につながる。

ショートステイを利用したことで、私たちは初めて気付いた。介護は家族の愛情だけで完結するものではない。専門職の力を借りながら続けていくものだという現実に。

あの選択があったからこそ、今の私たちは踏みとどまれている。精神的に救われたのは、父だけではなく、私たち家族だった。

見学と比較を重ねて選ぶということ―後悔しないために大切な視点

ショートステイを利用して感じた安心感は大きかったが、それは偶然ではなかったと思っている。事前に見学を重ね、いくつかの施設を比較した時間があったからこそ、納得して預けることができた。

緊急の場合を除き、見学はできるだけしておいた方がいい。パンフレットやホームページだけでは分からない空気がある。玄関を入った瞬間の匂い、職員の声のトーン、利用者の表情。数字では測れない部分が、その場所の雰囲気をつくっている。

同じ「ショートステイ」でも、施設ごとに特色は異なる。レクリエーションの内容、リハビリへの取り組み方、居室の広さや共有スペースの使い方。何を大切にしているかは、それぞれ違う。だからこそ、二つ、三つと見てみることが大事だと感じた。

見学の際には、あらかじめ聞きたいことをメモしておくと落ち着いて話ができる。費用の内訳や追加料金の有無、緊急時の連絡体制、医療機関との連携など、不安に思う点は遠慮せず確認したい。後から「知らなかった」と慌てないためにも、具体的に尋ねておくことが安心につながる。

短期間の利用であっても、過ごすのは大切な家族だ。合わない場所に我慢して通うよりも、少しでも居心地のよい環境を選びたい。父の様子を思い出すと、あのとき納得して決められたことが、私の支えにもなっている。

施設選びは、家族の覚悟を形にする作業でもあった。誰かに決めてもらうのではなく、自分たちで考え、選び取る。その過程があったからこそ、迷いながらも前に進めたのだと思う。

これから先、さらに状況が変わるかもしれない。母の体調も気がかりだし、本格的な介護が始まる可能性もある。それでも、準備を重ねてきた経験は無駄ではない。選ぶ力を持つことは、不安の中に小さな灯りをともしてくれる。

父と母の姿を見ながら、私は何度も考える。限りある時間をどう生きるか、どう向き合うか。施設を選ぶという現実的な行動の中にも、家族への思いがにじんでいる。

完璧な選択はきっとない。それでも、そのときの自分たちができるだけ考え、足を運び、話を聞き、選んだ道ならば、きっと受け止められる。父が教えてくれたのは、弱さだけではない。向き合う勇気だった。

これからも迷いながら進んでいくのだろう。それでも私は、できる限りそばに立ち続けたい。生んでくれた両親だから。そう思える今の自分を、大切にしていきたい。

もし今、介護で迷っているなら、一人で抱え込まなくて大丈夫ですよ。

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